自分を満たす生き方
美容師から農家へ。小布施町でユニークなキャリアを歩む、村中容さんと妻・幹さんにWORK as LIFEな生き方を伺った。
村中容さん(1978年7月21日生まれ)
バンタンデザイン研究所ヘアメイク学部卒。美容師、アパレル系広告代理店、ディスプレイ業などのキャリアを経て小布施町に移住。現在は、新規就農者として農業に携わる。
今は農家をされている村中さんですが、昔は美容師さんだったとお聞きしました。
容さん:
はい。20歳のときに美容学校のようなところを卒業して、3年間都内の美容院に勤務していました。
幹さん:
90年代後半くらいから「カリスマ美容師」っていう言葉が流行った時代があったんですよね。あなたもそれで美容師になったんじゃない?(笑)
容さん:
「カリスマ美容師」が流行ったのは、たぶん俺が入った後(笑)
幹さん:
結構有名な美容院にいたんですよ。SHIMAっていうところに。
あ、知ってます!芸能人も通う人気の美容院ですよね。
容さん:
でもそういう美容院にいながら、売れっ子のスタイリストを見ていると、自分が将来やっていけるのか不安もあって。美容師って年を取ったら独立しなきゃいけないから。その不安が拭えなくて、美容師をやめたんです。
じゃあ今の私の歳には、もう転職をされていたんですね。その後はどういうお仕事を?
容さん:
知り合いの紹介で、コスモコミュニケーションズというアパレル系の広告代理店に入社しました。
どんな業務をされていたんですか?
容さん:
営業アシスタントみたいな仕事です。クライアントのブランドが雑誌に出す情報の校正を3〜4年していました。ちょうど結婚する直前くらいまで。
そうだったんですね。
容さん:
コスモコミュニケーションズを辞めた後は、友人と飲食店を経営したりもしたんですけど、結局1年くらいでお店を畳むことになって。当時は独立したいという気持ちが強くて、どんな仕事が自分に合っているのか、まだまだ模索していたのかもしれません。
お店を畳まれてからはどうされたんですか?
容さん:
30歳くらいのときに店舗ディスプレイの什器の営業を始めました。お店が新しくできるときにディスプレイを納品したり、展示会にマネキンを貸し出したり…。で、そのころにちょうど子供ができて、それをきっかけにライフスタイルを見直そうかなって。百貨店への什器の搬入って日曜日の夜中とかにやるんですよ。帰りも遅いし、休みも全然取れないし、これは絶対子どもに顔を覚えてもらえないな、と思って。
幹さん:
プチ田舎暮らしみたいな感じで、川崎から藤沢の鵠沼海岸に引っ越したんです。
そうだったんですか。
幹さん:
でもそこからどうしようかっていうモラトリアム期間がちょっとあって…。
容さん:
バイトで電話の修理受付みたいなことはやってたんですけど、その後の展望もないまま…。
じゃあディスプレイのお仕事を辞めて鵠沼海岸に?
容さん:
そうそう。
すごい思い切りましたね。
容さん:
そうですね。で、そんなときに東日本大震災が起きたんですよね。それがきっかけでそれまで東北から大量に入ってきていた農産物が一気に滞ってしまって。それなら自分で食べるものは自分で作るのが一番固いんじゃないか、と思って農家になることを考え始めたんです。それまでは、農家になろうなんて全然考えてなかったんですけどね。
なるほど。それで小布施町に来られたわけですね。
容さん:
そうなんです。コスモコミュニケーションズ時代の先輩がUターンして小布施町で農家をやっていたので、そのつながりで。
幹さんは、新規就農の話を聞いたとき、どう思われましたか?
幹さん:
最初は本当にびっくりしました。でも私よりも先に、両親が農家になることに強く賛成してくれたんですよ。それなら私も考えてみないことはないかなって。
そうだったんですね。震災が今の農業を始めるきっかけになったとおっしゃっていましたが、震災による物流の停滞がどうしてそこまで「自分ごと」になったんでしょうか?
幹さん:
やっぱりスーパーに行くと限られた産地のものしか買えないということに不満があったんですよね。私が住んでいた地域では、一旦交通がストップしてしまうと食料難民みたいになってしまうような状況が当たり前で。そこに課題感みたいなものを持っていたのかな。流通自体を変えることはできないけど、住む場所を変えて、自分たちが生産者になることによって、身の周りの状況だけでも改善したいと。
容さん:
子どもがいるっていうのも大きいかな。自分たちだけだったら別に野菜食べなくたっていいじゃない。でもやっぱり子どもが食べられる野菜がないのは困る。
幹さん:
当時は風評被害なのか、それとも本当に放射線が残留しているのかを見極めるのも難しくて。子どもに食べさせるものを選ぶのが一時期すごく高いハードルになってしまっていたんですよね。
それなら自分で農作物を作って、それを仕事にしちゃえばいいと。
幹さん:
自分たちでここぞと思えるところに移住して、好みの野菜を食べられるように自分たちで作れたらいいのかなって。結局、小布施町は土地柄上、野菜よりも果物に向いていると言われて、今は果物を中心に育てているんですけど。
容さん:
もともと田舎に住めたらいいな、とは漠然と思っていたんだけど、やっぱり仕事が一番の懸念で。長野に住めたらいいけど、仕事なんか本当にないよな〜って言っていたんだけど、そのころ国で新規就農を支援する研修制度が導入されて、ちょうどよくはまっていった感じです。
縁とタイミングも後押ししたんですね。村中さんは、美容師から農家まで幅広いお仕事をされていますが、どういうものさしで仕事を決めているんですか?
容さん:
うーん…。すごく低俗なことで言えば、女の子にモテるか、とかおしゃれかとか…。
幹さん:
そうなんだ(笑)
それは結構大事な要素なんですね(笑)
容さん:
でも結婚したり子どもができたりするとそういうのも変わってきて…。
幹さん:
たぶん「どういう仕事がしたいか」よりは「どういう生活がしたいか」で仕事を選ぶ方なんですよね。この仕事をするとその背景にどういう生活があるのかっていうのをまず見て、それで仕事を選んでいる感じがする。
容さん:
うん。仕事の内容自体はそんなに重要じゃない。
仕事そのものよりも働き方とか生活への影響が大切ということですか?
容さん:
うん。やっぱり雇われているうちは、自分の好きな生活を実現させる上で限界があったから。そういう意味では、就農というかたちで独立できたのは良かったな。
そうなんですね。農家のお仕事のスケジュールは、どんな感じなんですか?
容さん:
基本的には、朝9時とかに仕事行って、家に戻ってお昼ごはんを食べて、午後は日が落ちるまで仕事して、みたいな。農家の仕事って、お年寄りが朝早くから作業してて、キツいイメージがあるじゃないですか。でもあれはお年寄りが寝てられないからなんだよね(笑))僕も消毒をするときは、朝3時とかに起きることもあるけど。
3時!?尊敬します…。
幹さん:
車通勤の時間に消毒するのは申し訳ないから。実働時間は都内で仕事していたときとあんまり変わらないかな。ただ仕事に区切りがつけづらいから、日曜日も2〜3時間は働いちゃったりして。休みはあんまりない。
そうなんですか。
容さん:
やることがなくなるってことがないので、ついついやっちゃうんですよ。自分で勝手に仕事増やして、休みがない状況に陥っちゃったりすることはある(笑)
そういう働き方について、ご自身としてはどう思われていますか?
容さん:
でもそれがあんまり気にならないんですよ。お昼を食べに家に帰ったりもするから、仕事してる感が弱いのかもしれない。良い意味で仕事と生活の境目がないというか。仕事の途中で子どもの運動会に行って、帰ってきてまた仕事する、みたいなこともあります。
仕事の途中で運動会!いいですね(笑)農家のお仕事は、どんなところが楽しいですか?
容さん:
「何をどう作るか」を自分で決められるところかな。もちろん天候に左右される部分はあるけど。会社にいるうちは、基本的には誰かが決めたルールのもとで働くわけだけど、今の仕事は、自分が納得できる方法を自分で決められる。今年はこれが流行りそうだからって植えてみたり。農家の仕事って結構化学的なんですよ。
試行錯誤が多いんですね。
容さん:
そう。去年成功した方法で、今年もうまくいくとは限らないし。たぶん農業には正解も完成もないので、おじいちゃんたちも色々研究しながらやってるんです。奥深すぎて極めようと思ったらいくらでもやれちゃう。だから趣味でやる人もいますよね。
なるほど。おじいちゃんになっても挑戦し続けられる仕事、かっこいいですね。最後にこれから働く学生に何かアドバイスはありますか?
容さん:
やっぱり会社も仕事も、その中に入ってみないとわからないことがたくさんあると思います。働いて、失敗して、その繰り返しで段々と自分のものさしを作っていったらいいんじゃないかな。あとは、自分がやりたいこととか、こういう風になりたい、みたいな願望を周りの人に伝えておくといいです。そういうところから誰かが仕事につなげてくれて、実現に近づいたりするから。神様は助けてくれないけど、人は意外と助けてくれるんですよね。
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